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桶狭間の戦い

桶狭間古戦場を訪れてみました。




桶狭間には気になる塔が建っているのですが、
どうもその近辺が今川義元の本陣だったようです。

正確には昔と風景も変わってしまって特定できない様ですが、
対岸の山から見るとその塔が良く見えるので
おそらくこの近辺だろうと思いました。

大将の居場所が特定されやすい場所に陣を置いたと想像できるからです。

桶狭間古戦場公園自体は現在は小さな公園が残されていますが、
おそらく戦場の一部で。道路を挟んで
向かい側に高徳院という寺院があって
そちらに今川義元の本陣とされる記念碑がありました。

遠くからは風変わりな塔が建っている、その目印のそばです。




桶狭間の戦いは戦国時代のターニングポイントの一つで、
桶狭間にて織田信長が2000人の兵力で
20000人以上の今川義元勢に勝利するという見せ場です。

NHK大河ドラマで黒田官兵衛がスタートして
その様子も伝えられていましたが
今川義元の首を取った武将よりも
今川義元がどこに陣を取っているかを教えたものの方が、
報酬が多かったと伝えています。

今川の兵力が45000人とか50000人とか盛られることもあります。




桶狭間は対岸の丘の頂上から眺めるとその周辺が一望できるので、
どの辺に陣があるかは手に取るようにわかります。

実際に高徳院を訪れてみると小高い丘になっており、
おそらく塔のあるところから熱田神宮側や桶狭間が見渡せるでしょう。

でも今川義元の本陣跡といわれる付近からは見晴らしも悪くなにも見えない。
その日は天候が悪く見晴らしの良いところへ出る気もなかったかもしれません。

そこで、今川義元は信長勢があっという間に押し寄せているのを
目視していなかったのではないか?

せめられてもなお、油断し続けたのでは?

という仮説を立ててみます。

身の回りに大量の兵士がいない、
丘の下には大勢が押し寄せている。

桶狭間にて休憩すると長い列の状態になって休むしかなく
駆けつけられる兵士はわずかです。

本陣後ろの兵士は信長が本陣へ迫っている情報すら知らされていないでしょう。
実際は織田勢2000人に対し今川義元の周辺の兵士はわずかで、
本陣の局地戦ではあっという間に取り囲まれただろうことが想像できるのです。

いろいろな説を読むと実際に戦いに参加した人数は5000人ぐらいといわれますが、
おそらく、戦いの序盤はラグビーのように前線の兵はスルーされたでしょう。

大将の首がとられた後に総崩れにあって
敗走中に追われて死んだと思います。
道も狭いので逃げるときに将棋倒しで死んだかもしれません。

開始早々あっという間にすり抜けてトライです。



さて、信長というと神仏をあまり頼りにしないイメージがあります。
その信長が熱田神宮でお参りしている。

なぜでしょう。

若き信長は策がなくて桶狭間の戦いの前に戦勝祈願、
この時点では策はなかった。信長の神頼みというのが、
人間らしくてほほえましいです。

熱田神宮でお参りしていると、
今川軍が本陣の周りが手薄で休んでいると報告がある。
将棋で言うと王将がみえます。

いまならとれます!という感じ、

そこへ飛車で一発で終わらせたイメージでしょう。
多分事前の作戦などなくて即興だとおもいます。
信長に勝てる戦略が事前にあったら戦勝祈願などしないでしょう。


↑桶狭間古戦場公園

多くのドラマでもその日は天候が悪く織田勢の行軍の気配を消したといわれますから、
運も信長に味方したのかもしれません。
熱田神宮での神頼みは効果があったといえるでしょう。


現在でも桶狭間近辺は車が渋滞するポイントで、
ひとたび詰まるとなかなか抜けられない。
迂回路がほとんどない。人が殺到すると通り抜けにくい場所になっています。

いくときは時間帯を選びましょう。