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明徳寺 柴田勝家生誕の地

名古屋市名東区 明徳寺 柴田勝家生誕の地

今回は古寺というよりはゆかりの地について紹介、
自分の身の回りにはいろいろな歴史が眠っていますよ。
ちょっと足を伸ばしてみましょうという奨めである。



名古屋市に明徳寺というお寺があるが
そこには柴田勝家生誕の地という石碑がある。
周辺からは少し高くなっている場所で
登ってみると見晴らしがよく
城に使っていただろうなとうなずかせる立地だ。



柴田勝家といえば織田信長軍においては重臣の一人である。
信長の妹の市を妻にして最後は賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗退してしまうが
前田利家が秀吉につかなかったら?柴田勝家が自害しなかったら?
どうなっていたかは分からない。

賤ヶ岳の戦い、1583年の翌年1584年に長久手の合戦があった。
このトーナメント戦で秀吉は家康に勝っていない。
家康に勝っていればたぶん江戸時代はたぶんできていない。

柴田勝家がいれば長久手の合戦にて家康を撃破したかもしれないのだ。

というのも柴田勝家の生誕の地である名古屋市名東区と長久手は
すぐ隣に位置して、明徳寺や貴船神社近辺も長久手の合戦の戦地となった。



史跡やパワースポットを巡るときにより面白くするコツは
想像力を膨らませることである。

長久手とその近辺は柴田勝家の庭のようなもの
ホームグラウンドだから、長久手で秀吉ではなく柴田勝家なら
そこで布陣を失敗することはないし、有利に戦をできただろう。



明徳寺の石垣の上に登るとさまざまな歴史が思い浮かべられる。
今回の明徳寺も想像力を膨らませることでより楽しめる。

最終的にやはり柴田勝家が自害してしまったのは
おそらく、お市の方の存在が大きいと思う。
優秀な男性がすぐそばにいる女性の意見を聞くことで、
周囲からすると意味不明な判断をすることはよくあること。
それが人間というものだろう。

柴田勝家の辞世の句は
「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」

夏の夢のように短く、はかない人生。
私の名を後世まで語り継がれるように雲の上まであげよ。山ほととぎすよ。
といった意味のようです。

お市の方の辞世の句は
「さらぬだに うちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな」

そうでなくても短い夏の夜にほととぎすが死をせかすようですね。
といった意味のようです。

夏の夜というのが短い夢のような人生ということにかかっています。


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