岐阜県神戸町日吉神社の三重塔を見て思う。

今回は岐阜の日吉神社を訪れる。
目的は国の重要文化財である三重塔を見るため
室町時代に建てられた木造の建築物である。
岐阜神戸町の日吉神社は813年よりこの地にある伝統ある神社で
境内に入ると人の気配もほとんどなくひっそり静かだ。

この規模の木造建築物が貴重だということには理由がある。
まずは、政治の変動や戦争を経ながらも生き残ったということ。
そして、このように大きな建築物を建築するにあたり
貴重な大木を多く使っているということである。
戦国時代にはほとんどの桧の大木が日本から消えていたといういわれ、
寺社に使うような大木は江戸時代には伐採されつくしていたようである。
それ以降は、計画的に大木にするために植林されているものである。
室町時代の近畿の木造寺社ともなれば、かなり希少なこと。

前者については近いところでは、
第二次世界大戦や明治維新などの国の仕組みの変動
ちょっと?さかのぼれば戦国時代・江戸時代の日本の政変である。
日本は今年の3月には東日本大震災を経験したが、
建築物がなくなる理由というのは災害を受けた場合もあるし、それだけではない。
自分の父親が最初に建てた住宅、おじいちゃんの家、もしくはその父の家などは、
そのまま残っているほうが極めてまれということをみても、
その他の理由で、建築や町は昔の形をとどめることができない。

その理由は建築物の老朽化により取り壊されたものもあれば、
経済的な理由からとか、戦争とか、国の衰退などさまざまある。
日本の代表的な都の京都ですら、国が衰退しているころには
一部湿原に戻ったといわれるから、経済的な理由もあるだろう。
さて、この日吉神社の三重塔が持つ意味というものについてだが、
存在そのものが昔の人からのメッセージであるということ。
今生きている世界について幻想ですか?という問いに対しては
わたし達が昔生きていましたよという回答を
三重塔などの史跡として建ててくれているということ。
さらには今生きている世界は幻想ではないけれど、
500年ぐらいたつと、歴史史跡を除いてすべてのものは
ほとんど残ってはいないのですよ言う事実である。
現在とは未来と過去をつなぐ一部にすぎない。

そもそも、この三重の塔とか、五重の塔とかはいったい何なんだということだが
釈迦の遺骨をおさめるために作られたインドのストゥーパが
中国に伝わったときに幾重にも屋根が重なった形状になったものである。
それが日本に伝わってきているのがこの塔で、
インドで紀元前3世紀ごろにあった遺伝子が今目の前にあるのである。
それって生き物みたいじゃないかといわれれば
たしかに、建築とは生き物のように遺伝子を持っているといわざるを得ない。
建築は生き物のようにそれ単体でいきなり現れたりはしないし。
その時代の建築が消えうせたとしても何処かに伝わって
それ以降の建築に遺伝子を残すもので
建築の意思というものは完全に消えうせることもない。
かならず、過去と未来をつなぐものとして存在するということなので
ほとんど私たちと同じ生き物と大差ないといってよいだろう。
塔を見るときはインドや中国から伝わったのだなあと思えば
なんだか壮大なストーリーが想像できるのでより楽しめるというものである。
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日吉神社
岐阜県安八郡神戸町大字神戸1