見ごたえあり。名古屋のマイナー文化財、あま市甚目寺

arikui

2011年04月16日 17:49



甚目寺の仁王門は1196年鎌倉時代からあるもので、
いいくに1192つくろう鎌倉幕府、その4年後に建てられたとされる。
源頼朝が「いいくにつくろう!」と言ってから800年以上経過した。

「いいくにつくろう」についてだが、
最近になってその時代から生きていたという人の証言で、
「それって、頼朝さん言ってないッスよ。」とのことだ。
見た目に若いそいつが鎌倉時代から生きているというのも怪しい所だから、
それも嘘である可能性が高い。(冗談)



その甚目寺の仁王門であるが、これがかなり謎を秘めたものである。
そもそも甚目寺は597年からある由緒ある寺だが、
そこに鎌倉時代の源頼朝の依頼で「つくろう」といって仁王門をつくることになった。
門の両脇にはそれはおそろしい仁王の像があり。

その時代に活躍した彫刻の大家、東大寺で知られる運慶の作であるとされてきた。

ところが、最近になって「それは1597年に福島のまさにいがプレゼントしたんスよ。」
とニュース(2011.1.4の中日新聞)があった。

あ・うんの仁王像の修理・修復をしていたら、
中から福島正則が贈りましたという墨書が出てきたのだ。
それまではその仁王の筋肉の付き方から鎌倉時代の運慶の作とされていたこともあり、
もしかしたら福島正則が修復したのかもしれない。
福島正則はあま市の出身の戦国武将で加藤清正と並び称される。
豊臣秀吉の軍では賤ヶ岳の戦いで一番槍となり、
以後数々の武功を伝えられる。
1600年の関が原の合戦では徳川軍の先鋒となった。
1595に現在の名古屋、清洲城主となって尾張を領地としている。
この福島正則はかなりの建築マニアで、
厳島神社の修復や晩年広島城を修理して武家諸法度にふれた。
当時のお役所である江戸幕府に
「おまえさぁ、勝手に修理とかやめろよな」と因縁をつけられ、領地を没収、
最後はそれが元で死んでいる。



軒の下の四隅で、尾っぽのように突き出した木は、尾垂木と呼ばれ
てこの原理で木材を押し上げているのだ。うーんしぶい。

福島正則のパワーは加藤清正の比ではないのだが、
荒くれものの逸話が多すぎることと、
肖像画のもみあげのせいで武力だけの頭の悪いイメージがある。
NHKの大河ドラマで石原良純が演じて、さらにそのキャラクターは濃くなった。

源頼朝や福島正則など戦国時代を経て生き残ったものは、
神や仏など自分をしかってくれる存在を作り出す。
仁王像もその例だ。

福島正則が仁王像の前で「どうか私をしかってくだちゃい。」と

赤ちゃん言葉で涙を流したかは定かではないが、
どちらの年代のものであっても仁王像が名作であることは間違いない。

さて、甚目寺の攻略法であるが、満遍なく境内を廻り拝んだ後、
仁王門周辺でうろつくことをおすすめする。
中には修復されたの仁王像が一体もどされて、
2011年中にもう一体が修復され戻される予定だ。
パワースポットであることは行けば分かることだが、
ぶらぶら歩いて帰るのではなく、仁王門の中を覗いて仁王を見て欲しい。
中にはこの世のものとも思えない腹筋の割れ方をした仁王がいるので、
女性にも男性にもマツコデラックスにも楽しめるスポットとなっている。

仁王門と腹筋に見ごたえありだ。



(この間行ったら仁王像がいませんでした。。。展覧会か何かで持ち出したらしいが、
誰の仕業だ。本来あるところにもどしてあげてください。)

甚目寺観音への行き方


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